53番 延命寺 ―祈りに違いはあるのか―
2010年2月20日 18:40
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円明寺には、キリシタン灯籠がある。
高さは、40センチほどと小さい。
合掌している、いわゆるマリア観音だ。
隠れキリシタンの信仰の対象だったのだろう。
「時代が時代やからね。当時の住職さんは、
相当、覚悟がいったんやない?」と長野さんは厳しい顔で言った。
今でこそ、キリスト教が迫害されていたなんて、
おかしいと思うけれど、当時の常識は、
迫害する側のほうにあったのかもしれない。
そんな時代に、自分なら、
どんな立場をとることができるだろうか。
できるだけ波風をたてたくない、自分の家族を守りたい、
そう思ったとき、当時の住職さんの信念の強さに、頭が下がる。
ほとんど、輪郭がとれて、
かろうじてぼんやりと人のかたちをとっているだけの
マリア観音に、そんな時代との時間のへだたりが、
あらわれていると思った。
このお寺には、日本最古の、
銅製の納め札も残っているのだそうだ。
宗教や信じるものは違えども、
何か祈りたいという気持ちは、みな一緒なのだ。
昔の人も、今の人も。外国の人も、日本人も。私も、ほかの誰かも。
黒揚羽門閉ざされて入れぬ子 紗希
(神野紗希 記)