55番 南光坊 ―誠実さを前に―
2010年2月27日 15:30
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八十八ヵ所のうちで、なぜ、この南光坊だけ、
「寺」ではなく「坊」なのだろう。
昔、豪族の越智氏が、大三島に、24坊を開いた。
そのうち、八坊のみを、この今治に分家してきた。
この、八坊を全部まとめて、「光明寺」と呼んでいたそうだ。
しかし、天正年間、秀吉の時代のころに、
土佐の長曾我部氏が、四国のお寺を
かたっぱしから燃やしていってしまった。
これは、当時、寺に勢力が集まりやすく、
寺から一揆が起こることが多かったからだという。
長曾我部氏は、そうした人々のエネルギーをおそれて、
場を消してしまおうとしたのだ。
その流れで、この八坊も、すべて焼かれてしまった。
お金はないが、せめて、一番小さい坊だけは再建しよう。
そういうことで、南光坊だけが、もう一度つくられることとなった。
そのとき、八つの坊すべてをあわせて光明寺だから、
南光坊だけでは寺を名乗るわけにはいかないということで、
今でも、ここだけは、南光坊という名前を掲げているのだという。
境内には、芭蕉句碑がある。
「ものいへばくちびるさむし秋の風」。
言葉の持つ恐ろしさ、嘘くささへの
批評性を感じさせる句だ。
寺を名乗ることははばかられるという
誠実さをもつ寺に立つ句碑として、
よくあっているのかもしれない。
つば持ちて日を見上げたり夏帽子 紗希
(神野紗希 記)