71番 弥谷寺 ―学問のさびしさ―
2010年4月15日 20:03
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ここ弥谷寺には、お大師さまが、幼少時代、
7歳から12歳くらいまで、勉強をしたという祠が残っている。
この祠は、入り口が、
大きくひらかれた獅子の口のかたちをしていることから、
獅子の岩屋と呼ばれている。
いわれてみれば、獅子の口のようにみえる。
洞窟を獅子の口に見立てることで、
険しい状況に自らを追い込んで勉学に励む、
お大師さまの心持ちが想像される。
お大師さまが勉強した場所だということで、
毎年、シーズンになると、
多くの受験生が足を運ぶのだという。
この獅子の岩屋の隣に、たくさんの絵馬が奉納されていた。
山口誓子という俳人に、
「学問のさびしさに堪へ炭をつぐ」という俳句がある。
寒さの厳しい冬、からだを縮こまらせながら、
炭桶の傍で、黙々と一人勉強している。
勉強したから、一体何になるのだろうか。
分からないけれども、絶対に役に立つのだと
自分に言い聞かせながら、ひたすらに勉強する。
そんな孤独な決意のさびしさが、あらわされている。
獅子の岩屋を見て、私は、この句を思い出した。
お大師さまも、誓子も、ここに絵馬を奉納した受験生たちも、
みな、学問のさびしさに堪えながら、
未来への決意を育ててきたのだろう。
祠の岩からひんやりと伝わってくる冷たさが、
私に、そんな思いを抱かせた。
雲の白さ鷺の白さが大空に 紗希
(神野紗希 記)