私のお遍路体験記 ~八十八ヶ寺と奏でる私の詩~

73番 出釈迦寺 ―記憶や祈りの集積―

2010年4月21日 09:38 記事一覧に戻る

 

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出釈迦寺という名前は、お大師さまにまつわる、

ある説話に基づいている。

 

お大師さまは、七歳のとき、

「将来、仏門に入って、仏教で多くの人を助けたいが、

それがかなわないなら、このまま身を捨てる」といって、

出釈迦寺の背後にある、我拝師山から身を投げた。

すると、釈迦如来と天女があらわれて、大師を助けたというのだ。

七歳で、その志。末恐ろしいとはこのことである。

 

山門を入ってすぐのところに、その逸話を説明した看板がある。

ボタンを押すと、音声でも説明してくれるから、

当該の山を見ながら、ガイダンスを聞くことができる。

 

 

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山門のところで、入れ違いになった人と、声をかわした。

70歳くらいのおじいさんで、

杖をつきながら、階段をあがってこられた。

 

「何を調べよんかね?」と言われたので、

「俳句をかいているんです」と答える。

お近くにおすまいだという。

 

「奥の院にはいかれるんか?」と聞かれたので

「いいえ。これから行かれるんですか?」と聞き返すと、

「うん、行てみようと思とるんじゃ。

昔、わしのおじいさん連中がの、

「禅定いこや、禅定いこや」といっつも言よったんよ。

禅定いうんは、ここの奥の院のことよな。

それをずっと覚えとってな、

今日、ちょと行てみようと思うんじゃ」と言われた。

 

 

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おじいさんが、子どものとき。

それは、はるか昔、私には想像がつかないけれど、

いつか、私に子どもや孫が出来たら、

同じような思い出が、繰り返されていくのかもしれない。

 

人々の思い出の中に、お寺があり、八十八ヵ所がある。

それって、すごいことだと思う。

 

たとえばおじいさんの場合、

八十八ヶ所のお寺を訪うことで、

自分のおじいさんたちの思い出を、

自分の中に補完していくことをする。

 

お遍路さんをするというのは、どこか、

過去の誰かの思い出を集めなおしていくことなのかもしれない。

親戚や、知り合いだけでなく、

これまでお遍路をまわってきた人たちの、

記憶や祈りの集積が、お寺には積み重ねられていて、

それが、お寺を訪う私たちに働きかけるから、

どのお寺にも懐かしさを感じるのかもしれない。

 

 

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ほおずきや自転車直しくれし祖父  紗希

 

                        (神野紗希 記)