73番 出釈迦寺 ―記憶や祈りの集積―
出釈迦寺という名前は、お大師さまにまつわる、
ある説話に基づいている。
お大師さまは、七歳のとき、
「将来、仏門に入って、仏教で多くの人を助けたいが、
それがかなわないなら、このまま身を捨てる」といって、
出釈迦寺の背後にある、我拝師山から身を投げた。
すると、釈迦如来と天女があらわれて、大師を助けたというのだ。
七歳で、その志。末恐ろしいとはこのことである。
山門を入ってすぐのところに、その逸話を説明した看板がある。
ボタンを押すと、音声でも説明してくれるから、
当該の山を見ながら、ガイダンスを聞くことができる。
山門のところで、入れ違いになった人と、声をかわした。
70歳くらいのおじいさんで、
杖をつきながら、階段をあがってこられた。
「何を調べよんかね?」と言われたので、
「俳句をかいているんです」と答える。
お近くにおすまいだという。
「奥の院にはいかれるんか?」と聞かれたので
「いいえ。これから行かれるんですか?」と聞き返すと、
「うん、行てみようと思とるんじゃ。
昔、わしのおじいさん連中がの、
「禅定いこや、禅定いこや」といっつも言よったんよ。
禅定いうんは、ここの奥の院のことよな。
それをずっと覚えとってな、
今日、ちょと行てみようと思うんじゃ」と言われた。
おじいさんが、子どものとき。
それは、はるか昔、私には想像がつかないけれど、
いつか、私に子どもや孫が出来たら、
同じような思い出が、繰り返されていくのかもしれない。
人々の思い出の中に、お寺があり、八十八ヵ所がある。
それって、すごいことだと思う。
たとえばおじいさんの場合、
八十八ヶ所のお寺を訪うことで、
自分のおじいさんたちの思い出を、
自分の中に補完していくことをする。
お遍路さんをするというのは、どこか、
過去の誰かの思い出を集めなおしていくことなのかもしれない。
親戚や、知り合いだけでなく、
これまでお遍路をまわってきた人たちの、
記憶や祈りの集積が、お寺には積み重ねられていて、
それが、お寺を訪う私たちに働きかけるから、
どのお寺にも懐かしさを感じるのかもしれない。
ほおずきや自転車直しくれし祖父 紗希
(神野紗希 記)