75番 善通寺 ―大師の母、大師の父―
善通寺は、お大師さまが生まれたところだ。
とても大きなお寺で、見ておきたいものも多く、
半日かけて、ゆっくりと感じてみたい場所である。
たとえば、お大師さまの母、
玉寄御前の御殿があった場所にたてられた、御影堂。
中には、お大師さまが中国に行くときに、
母のために描いたといわれる自画像、
瞬目大師(めひきだいし)がある。
自画像が、まばたきしたことから、
この名前がつけられたのだそうだ。
また、御影堂の地下には、「戒壇めぐり」もある。
善通寺の宿坊に宿泊した翌日、朝のおつとめに参加したあと、
この戒壇めぐりに案内してもらった。
真っ暗なお堂の地下を、壁づたいに歩いていくと、
ふいに明るくなった。そこが、弘法大師誕生の聖地なのだ。
くらがりが明るくなるときのよろこびは、
胸の底から湧いてくる。
誕生のとき、悟りをひらくとき、もしかしたら、
この、くらがりから光へのよろこびに似たものが、
お大師さまの中にもあったのかもしれないと、想像してみたりする。
他にも、日本で三番目の大きさを誇る五重の塔や、
子宝祈願の子授け石、
お大師さま誕生の際に用いられた産湯の井戸がある産湯堂、
お大師さまが自画像を描くために自分の姿を映したという御影池など、
見ておきたいところを挙げればきりがない。
個人的に心ひかれたのは、
「おねがい薬師」というお守りである。
これは、石で出来た、てのひらサイズの薬師如来だ。
掌の上に載せて、願いごとをひとつお願いし、
専用の袋に入れて持ち歩くと、願い事がかなうらしい。
願い事がひとつかなうと、袋から出して、
ありがとうございますとお礼を言う。
そうすると、また、新しいお願い事を、
ひとつすることができるというのだ。
使い捨てではないところがいい。
また、ひとつずつ願いを積み重ねていくことで、
着実に、人生を歩んでいるという実感も得られるだろう。
人生というのは、そういう、小さな幸せの積み重ね。
そんな考え方も、あっていい。
ところで、善通寺という名前。
実は、空海の父、「義通卿」にちなんでつけられたという。
お大師さまの家族にまつわる話といえば、
母の玉寄御前のものが多い印象があったけれど、
自らの生まれたこの場所に父の名前をつけたという事実、
父親への深い思いが確かにあるのだということを、
強く感じさせてくれる。
善通寺の広い境内を、ゆっくり散策しながら、
そんなことを考えていた。
父といて母の話や椿の実 紗希