88番 大窪寺 ―結願―
2010年5月24日 19:13
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いよいよ最後です!
杖の数だけお遍路さんがいる。
それぞれの歩き方があり、木の杖の磨り減り方もさまざまだ。
木の杖は金剛杖と呼ばれ、
同行二人の精神から大師のように扱うものである。
磨り減ったからと言って、
大師でもあるその金剛杖を刃物で削ってはならない。
この88番のお寺では、
旅を通してずっと身に着けていたものを納める習慣がある。
それらは年に2回、この寺の護摩で焼かれるのである。
(しかし現在は、8割方の人が焼かずに記念として持って帰るそうだ。)
私達が訪れた10日くらい前にちょうど護摩があり、
焼け跡がまだ残っていた。土が少し黒くなっている。
最初はどうなることかと思っていた88ヶ所は、本当にあっという間だった。
まだ、終わっていないような気すらしている。
お遍路を終えて、自分が何か変わったかどうかは、まだ分からない。
けれども、私がお四国で体験したさまざまなことは、
ずっと忘れられないだろうし、ずっと私の中に息づいていくのだろう。
これから、どう生きていくのか、ということが大切なのだと思う。
今は、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
こんなに貴重な旅の機会をくださったあなぶきトラベルさん、
本当にありがとうございました。
ブログの管理をしてくださったドコモさんにも本当にお世話になりました。
タクシーを運転してくださった長野さんにも、
とても楽しく気持ちの良い案内をしてくださって嬉しかったです。
そして、なによりさきさんには、もう、言い尽くせないほどの感謝。
さきさんから、たくさんの徳をいただきました。ありがとうございます。
色々教えてくださったお寺の方々、お接待くださった町の方々、
多くのお遍路の方々、自然のすべてに、人の作ったすべてに、
支えていただきました。ありがたいことです。
そしてこのような拙い記事を読んでくださった皆様に、感謝感謝です。
本当にありがとうございました!
合はす手の芽吹きさうなる夕月夜 る理
(野口る理 記)