こんにちは!
あなぶきトラベル髙嶋です♪
先日《逆打ち》第2回に行ってきました!
午前中はあいにくの雨模様・・・
しかし午後からはTHE快晴でした(笑)
今回は77番道隆寺と76番金倉寺の様子をお送りします!
眼なおし薬師の道隆寺

77番札所道隆寺 左が本堂 右が大師堂
道隆寺の由来は、多度津近辺の領主であった和気道隆(わけ みちたか)が開いたと伝わっています。
このお寺には【目病平癒】に霊験があると云われています。
江戸時代後期、京極左馬造(きょうごく さまぞう)は幼少期目が不自由だったが、道隆寺の薬師如来を祈願すると目が見えるようになったという伝説があります!
京極左馬造はその後医者になり人々を治療したそうです。
現在も【潜徳院殿堂】という京極左馬造のお墓が境内にあり、眼病平癒に訪れる人が多くいます。
お遍路さんもこのお寺では納め札を3枚用意します。
本堂・大師堂と潜徳院殿堂です。納め札の裏に「め」を年齢の数(数え年)書いてこのお堂に納めると眼に効くと伝わっており皆さんご昼食会場やバスの中で記入して納めていました。

道隆寺 潜徳院殿堂
智証大師と乃木将軍ゆかりのお寺~金倉寺~

76番金倉寺
第二回の打ち止めのお寺金倉寺。
弘法大師空海の甥にあたる智証大師円珍の誕生の地と伝わっています。
円珍は後に天台宗寺門派の宗祖となっています。
弘法大使と同様に醍醐天皇より【智証大師】のおくり名を頂いています。
しかし、現在で『大師』として非常に有名なのはやはり弘法大師、『お大師』様のイメージが強いと思います。
仏教のことわざで【大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪わる】というものがあります。
大師も太閤も特定の個人を表す尊称ではないものではないが、庶民の人気が、一般の尊称を特定の人を指すものにしてしまうということを指しています。
また本堂の隣には『乃木将軍妻返しの松』があります。
乃木希典将軍と言えば日露戦争時の将軍として有名ですが、善通寺にゆかりのある方です。
現在も善通寺は自衛隊の基地がありますが、明治時代では陸軍の第11師団が善通寺に置かれその初代師団長が乃木将軍です。
乃木将軍はこの金倉寺を宿舎として利用され、丸亀と善通寺の基地を監督していました。
そんな中、大晦日に東京から妻が訪ねてきたが、乃木将軍は会わなかった。妻は松の木の下で途方に暮れたといういわれがあります。

乃木将軍妻返しの松
次回は弘法大師誕生の地 75番札所総本山善通寺から67番大興寺までのお参りです。
3/25(水)、3/28(土)、3/29(日)の3本です。
是非、皆様のご参加をお待ちしております♪