旧暦3月21日
2024.04.29

奥の院一の橋でまずお出迎えしてくださる弘法大師様にご挨拶してから壇上伽藍へ

高野山のなかで一番最初に作られた壇上伽藍に行きましたが。。。なんだかすごい緊迫感を感じていて、今回は『三鈷の松』を探すのも遠慮しました。

皆さんと力を合わせ『六角経蔵』を回し終わるころ、向こうから僧侶の方々が正装で歩いてこられます。

輿にて来られる方もいらっしゃいました!


暦によると、なんと今日は、旧暦3月21日『弘法大師様が入定された日』です。
午後1時より御影堂にて『御影供の法会』を執り行われるようです。
『同行二人』弘法大師様はこれから先も多くの人の心の中で生き続けずっと見守り続けてくださっている、という思いが1200年以上経っても人々の『心の支え』になっているのだなという思いを感じると共に、私の中では『智泉大徳さまと弘法大師様との別れ』を思い出します、
弘法大師様の甥っ子であり、空海の一番弟子であり、唐にわたる前、14歳の時から空海と共に過ごし、苦しい太宰府時代も支えてきた『智泉大徳さま』、真言密教の根本道場である高野山に修行道場を開くため、智泉大徳さまは800mを超える険しく厳しい気候の中、心身ともに限界を超えてしまったのか、高野山で倒れ、帰らぬ人となり、ここ壇上伽藍に眠っていらっしゃいます。
哀しい哉 哀しい哉
哀れが中の哀れなり
悲しい哉 悲しい哉
悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 復哀しい哉
悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉
悟りを開けば この世の悲しみ驚きは
すべて迷いが生み出す幻にすぎないことはわかっています
それでも あなたとの別れには 涙を流さずにはいられません
『弘法大師様から智泉様への追悼文』です
最初にその言葉を知った時には、私も涙があふれていました。
ずっと自分を支えてくれた『智泉大徳さま』が心も体も苦しんでいる時に、遠く離れていた弘法大師様は気づくことも声をかけることもできなく、大師様より若くして亡くなられた智泉大徳さまに、ただただ別れを嘆くことしかできなかったことは無念でしかなかったことでしょう。。。
それから10年後の旧暦3月21日『弘法大師様との永遠の別れ』は『永遠の瞑想にはいる入定』という発想に達することにより、人々は『別れ』という悲しみを越え、『心の支え』になっていったのかなと自分なりに考えてみました。
1つ新しいことを知れば2つ知りたいことが増えてきます。
旧暦3月21日に高野山にお参りできたことで感慨深くなると共に、『勉学・才能にも恵まれていらっしゃいましたが、それ以上に人の心に寄り添える心優しいお姿』を感じ取れる逸話が他にもたくさんあることでしょう。
弘法大師様を少しづつでも知りたいなと感じました。

奥の院中橋のお店のソフトクリーム♡
『こうやくん』はおなかの中で支えてくれます♡