鞆港に面した場所にあり、鞆のシンボルである常夜灯にも近く、港が一望できる絶景ポイントです。
『流星ワゴン』の撮影の中にでてくる茶色の壁に赤い屋根の建物は中華料理「天福軒」があったが、忠雄さんの事業拡大に飲み込まれて丸忠の本社ビルとなりました。お父さんと不和になってしまった一雄さんは、今はほとんど戻ることはなかったと、回想シーンでよく使われます。
『天福軒』隣にあるこちらが、忠さんち一雄が育ったおうちの設定です。入り口までが撮影ばしょ、中は合成でした。
いまは、cafeになってます♪
『流星ワゴン』忠さんが融資の依頼に行った福山銀行。実在しない架空の銀行で、実際は「しまなみ信用金庫鞆支店」です。こちらの建物は元は鞆信用金庫本店で昭和13年(1938)に建てられたものだそうです。古い町並みにも馴染んでいて、とてもステキな建物♪
鞆の町のシンボル『常夜灯』です。安政6年(1859年)に建てられ、長年灯台としての役割を果たしてきました。基礎は海中で、最上部までの高さは約10メートルもあり、石造りの常夜灯としては日本最大です。幼少期『一雄さん』が家出して隠れて泣いていた場所です。
室町幕府最後の十五代将軍、足利義昭(1537~97年)のキャラクター「将軍・よしあきくん」
義昭は織田信長に京都から追放され、毛利家を頼って1576(天正4)年から鞆の浦に滞在。この時期は「鞆幕府」とも呼ばれる。
鞆の浦でしか造られていない保命酒の蔵元として栄えた中村家は、大商家で名主的な存在でもあったため、参勤交代の行列などをもてなす役割もしていました。幕末、八一八の政変で京都を追われた三条実美ら7人の公家が再び上洛を図った際、この家に滞在しました。明治期になって回船業の太田家に引き継がれ、本宅はもちろん当時の蔵なども江戸時代の姿をそのままにとどめています。
『流星ワゴン』の中で子供の頃運動会を行なった校庭のある場所『立入禁止』なので、表札のみですが、撮影のあと、昆虫好きの香川さんはエキストラの子供たちと楽しく遊んだそうです。
宮城道雄さんの像がありました。鞆の浦がお父さんの故郷で、あの有名な『春の海』は幼少期に過ごした、鞆の浦を思って作曲したと言われています。この資料館は鞆城跡に建てられたので、ここからの眺めはとても綺麗です。
鞆港はとても穏やかではありますが、漁港として波をふせぐために江戸時代に築かれました。花崗岩の岩が組まれており、延長、修理が繰り返され現在の形になったのは文政7年(1824年)です。ここから見る鞆の風景も赴きがあります。
鞆浦港近くにある『遠音近音』
穴吹トラベルの『楽旅』に出てきます。
春になると、鯛網漁が有名です。
もう少し落ち着いたら、また、鞆浦にも遊びに来てください。
あともう少し、と何回も思い続けて、なかなか、叶いませんが。。。ツアーが待ち遠しく恋しいです。。。
前半2つのブログも良かったたら見たください。添付しておきます。